どちらが本業で、どちらが副業でしょうか
ぼろアパートが始まりです
普段は個人営業の飲食店でオーナーシェフをしています。
副業でアパート二棟と貸家一軒、月極駐車場の賃貸業も行っています。
副業収入が飲食業収入を上回っています。
物心ついた時には、原っぱの向こうに
親の所有する、ぼろアパートがありました。
父は零細企業のサラリーマンでブルーカラー。
給料は高くなかったと思います。
私には兄妹がいます。
兄妹は私立高校、専門学校。
私は大学まで通いました。
母は専業主婦。
趣味で歌謡舞踊をやっていました。
たまに高額な着物を買わされていました。
発表会があると結構な額を納めていました。
母は父の給料が安いと嘆いていました 笑。
私が中学生の時には自宅も建て替えました。
不自由なく暮らせていました。
お金に困った話は聞きませんでした。
特に疑問も感じませんでしたが、
しばらくして理解しました。
あの、ぼろアパートがあったからだと。
部屋数は10室でした。
管理は両親がやっていました。
家賃収入は100%入ってきます。
返済は終わっていたはずです。
家賃は3万円程度だったと思います。
今の家賃相場から考えると高収益です。
貸し手市場でしたから部屋はだいたい埋まっていました。
毎月20万から30万の家賃収入がありました。
当時の父の月給と同じくらいです。
原野を開墾して土地を手に入れられた時代
神奈川県相模原市。
神奈川県で3番目の政令指定都市、
東京通勤圏として発展してきました。
祖父と父が転入してきた頃(戦後)は一面の野原だったそうです。
その地を開墾すれば良い条件で土地の権利を持てる。
そんな時代だったそうです。
豚や鶏を飼い、畑を耕すような生活でした。
けっこうな数の家畜がいたようです。
そんなのどかな場所でしたが
時を経て収益を生む土地になりました。
誰も想像していませんでした。
今では近隣に一軒家を持とうと思えば、
最低でも2千万円以上かかります。
土地なんて無いから関係ないと思うかたも多いでしょう。
そんなラッキーな話は無いと言われるかもしれません。
でも、分かりませんよ。
チャンスは色んな形で転がっているかもしれません。
そのチャンスを掴んでいても気づかないこともあります。
あの時やっておいて良かったな〜と思うことが
これからたくさん出てきますよ。
ですので、いろんなことをやってみることです。
何もやらなければラッキーも生まれないですから。
でもリスキーな挑戦はどうかなと思います。
リスキーなことに挑戦して成功する人は圧倒的に少ないです。
一攫千金なんて狙わなくても地道に時間をかければ、
低いリスクで大きなリターンを得ることは可能です。
なるべく早く若いうちから。
と言うことです。
原野は無くても小銭ならありますね
時間をかければ小さく始めても良いんです。
父は原野を開墾するという元手資金ゼロからスタートして、
給料2箇所分相当の収入を得るようになりました。
現代は資産を作る、運用する、増やすが
簡単に取り組める環境が整っています。
小さく早くスタートする。
低リスクで長期に取り組むのが最強の方法です。
毎日100円を貯金すれば、一年感で3万6500円たまります。
ほぼノーリスクです。
100円なんて無意識に使ってしまいます。
それを貯金しても痛くも痒くも無いです。
300円を毎日貯金出来たら一年で10万9500円です。
一日300円 無理ですか?
10年たったら100万円以上貯まっています。
一日に300円と、月に9000円。
ほぼ同じ経済的負担ですが、どちらが楽ですか。
月に9000円の場合、出費がかさみ、お金に余裕がなかったら、
今月はいいやと言うことになりがちです。
でも毎日300円なら、今月は苦しから今日は300円を
やめておこうとは思わないのでしょう。
3日間、300円貯金をサボったとしても△900円で。
一ヶ月を30日とした場合、9000円マイナス900円で
8100円は貯金できていることになります。
これが500円だったら。これが1000円だったら
計算するとワクワクしますよ。
格安だった土地が時間を経て何倍もの価値をもったように、
数百円でも時間をかければ大きな価値をもちます。
思い立ったときが始めどきです。